学会がおもしろくない理由。
「基本、日曜日は休みかな。ときどき学会とかで潰れるけどね。」
「学会とか、凄いね!。どんなことしてるの?」
”華の金曜日”
私もこの”慣例”に従い、参加した合コン。
学会というワードは、相手の興味を引くのに実に効果的である。
「学会」
恐らく、一般の人だと参加したことがないと答える人が多いと思うが
医療人からすると、身近なものである。
そもそも学会とは、
「研究者あるいは従事者が、自己研究の成果を発表しする場所である。」
毎回参加する度に、新たな刺激を受ける場所でもある。
しかし入職した当初から、学会へ参加することがあまり好きでない。
理由はせっかくの日曜日を学会参加で潰されるのが不満でもあるが、
一番の原因は発表内容を理解できないことである。
もちろん、経験年数が浅いが故に知識量も少ないため、発表内容が理解できないないってのも要因の一つであるが、一番は原因は発表される内容がぎっしりと文字が書かれたスライドが多く、読んでる間に次から次へとスライドが切り替えられていくことにより、内容が理解できないのである。
「睡魔と戦う聴衆」
学会会場を見渡すと、けっこう居眠りをしている人が多い。
私と同じ、文字ばかりのスライドに嫌気がさし、ドラクエ呪文の”ラリホーマ”の如く
会場の聴衆を眠りへと導いている。
せっかくの研究成果なのに、それを誰かに伝えないと、
ただの自己満足に終わってしまう。実にもったいない話である。
私が参加する学会は意外とこういった傾向の人が多く、
研究成果が立派なのに、”伝える”ことをないがしろにしている人が多く感じる。
「わからないものはおもしろくない。」
なんでもそうだが、わからないものはおもしろくない。
どうしたら、聴衆に”わかってもらえる”のか?
それを考えてスライドを作る必要がある。つまり”聴衆目線”になることである。
ではこの”聴衆目線”である”わかりやすい”とは何?
それはインプットされた情報が脳内のデータベースで検索かけられ、
短時間で処理できれば、”わかりやすい”
一方、処理が長時間かかれば、”わかりにくい”と脳が認識する。
この流れを理解できれば、聴衆に”ラリホーマ”をかけてしまうことを防げるであろう。
「”伝えて”までが研究発表」
時間をかけて、プロトコールを作成し、実験を繰り返して得られた結果を
数分間で説明しろなんて、非常に困難であろう。
私が過去参加した学会ではこの”困難”から逃げ、聴衆を無視した
文字ばかりの”わかりにくい”発表をよく目にする。
研究で得られた成果をよりたくさんの人に理解してもらい、シェアする場が
「学会」ではないだろうかと私は思う。